フィラデルフィア写真紀行

写真センターの運営や作家活動から、アメリカの写真事情や文化の違いまで…

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NYでの再会

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美香さんが帰った後、2週間も経たないうちにクボさんがNYに訪れる。

今回はいろいろと東北部にある美術館巡りプリントを見るのが大きな目的である。今週はフィラデルフィア美術館,来週はRochesterまで出向き、George Eastman Houseなどを巡る予定。時間があれば途中の町にあるシラキュースにあるLight Workなどにも寄りたいと考えている。最後の週はDCに行きLibrary of CongressNational Archivesでキュレーターがプリントを見せることになっている。大体の段取りなどはとってあり、後は細かい所を調整していくだけである。今回は運良くキュレーターなどとの予定も合い、ほとんどのやろうとしていた予定がこなせそうである。

その中でAndrea Modicaのオープニングがあったり,彼女のプリント作業風景などを見に行ったり、前回久保さんが気に入った地元の写真家Richard Kaganにもインタビューの為にスタジオに訪れるなど、こちらの人達との交流も混ぜている。Andreaのオープニングの後、彼女のアパートで行われる小さなパーティーによばれていて、Gallery 339のオーナーのMartinも来るようである。前回菅原さんがMartinに見せたプリントを作ったプリンターとして久保さんを紹介できる。

今回このように動き回っているのも,久保さんと一緒に始めようとしているサイトの為である。オルタナビトという名前のサイトで日本語で写真のプロセスの情報を発信していこうというのが目的である。実際に歴史的なプリントを見たり実際に活動している作家と会ったりとプリントとプロセスにまつわる話題を二人で紹介していく予定である。前回見て回った物もあるが今回は美術館の裏側に入って歴史的に貴重な写真を見せてもらえるので、紹介する価値があるのではないかと思う。このサイトを通して昔に使われていたプロセスなどが今の作家作品などを通して、日本の人にも身近に感じてもらえる様になればと思っている。

後は今週末の行うRon ReederのデジタルネガのワークショップMark Ostermanとのプライベートレッスン、そして二人で実際にプリントなどを作ることも予定に入れている。プラチナやガム、そしてWet Collodionなどで一緒にプリントを作りいろいろ試してみようという物である。昨日は画材屋さんに紙を買いにいったりと少しずつ準備している。うまく行けば作業様子のビデオなどを撮れないかとも考えている。

今回も盛りだくさんの滞在になりそうだ。

歴史と歴史との関係

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金沢で久保さんに勧められていた、杉本博史のショーを21世紀美術館でみる。タイトルは”History of History”と作家一人で行うには少し大げさな感じがあるが、このショーはNYのJapan Societyで見た事があり、一つ気に入った作品を覚えているのでまた訪れる。

さすがにNYでの展示スペースの限界のためあまりまとまりがなかった事を記憶していたが、21世紀美術館で行われているショーはスペースの使い方がとても有効で完成度の高いもになっている。このショーは写真展ではなく彼の写真作品と自分の古美術のコレクションを交えたとても面白いショーだ。中には自分の写真を古美術に実際に混ぜて見せている物もある。

インタビューなどを見るとどのようなアイデア基にして作品を作っているなどと分かり彼の作品を理解するにはかかせない物だと思った。前々から思っていたが彼の作品を見ていると「時間」を意識せざるえない。それも一瞬の時間から数千年もしくはもっと長い時間を含めて。そしてそれらが「歴史」というアイデアを構成しているのであろう。「歴史」という事をレファレンスにする為ある意味「普遍性」みたいな物をかもしている。

その後に国際交流サロンの永江さんの所に寄ってみるとシムさんと山口君という若い工芸作家に出会う。彼らは金沢市がプログラムとして行っている卯辰山工芸工房という所で自分たちの作品を作っている。ここでは30人ほどの人達が全国から選ばれて、スタイペンド(給料)をもらいながら作品を作る機会を与えられる唯一のレジデンシーだそうだ。若くして作品を作っているという事もあり話が弾み、時間がないながらも次の日にに向かう前にスタジオを訪れる事にする。

卯辰山は海抜が140mとそんなに高い山ではないが金沢の比較的平らな場所にある為、頂上からは金沢が全てが一望できる。僕もちょうどどの地点から金沢を全て撮ることができるのかと考えていた所にこんな機会に出会わした。あいにくの雨だが工房から見える景色はなかなかの物である。ここでは陶芸、繊維、ガラス、メタル、漆器の5項目だけを制作しているスタジオである。シムさんは漆器そして山口君はガラスのを使いそれぞれ作品を作っている。アメリカでいうCraftと呼ばれているアートである。

前の日話している時にアメリカではFine ArtとCraftの地位の差というのが明確に現れている事を話す。一概に言えないが、Fine Artというのはとても洗練されていているが、craftとなると手作り感みたいな意味合いが含まれてきて評価が下がる。もちろん家具を作る作家や陶芸の人でもとても評価の高い人がいるが、やはり取引されている値段そして話題性という点から見ても、Fine Artとの「差別」みたいな物は薄々と感じる。

工芸では長い「歴史」や「伝統」という物が逆に作用して一種の束縛感みたいな物になっているような感じがする。杉本博史が歴史を利用する事によって作り上げている「普遍性」のようなものはどこに行ってしまうのだろうか?歴史との関係をうまく利用するか、それともそれによって縛られるのかは作家次第なのだろうか?今にも雪が降りそうな曇りの金沢を発つ電車の中でそんな問いが頭を巡った。