Archive for the ‘日本の伝統と歴史’ Category
物を作るスピード
日本に着き、久保さんとのデジタルネガとプラチナプリントのワークショップを無事に終わらせた後、今月の頭にフィラデルフィアに訪れてくれたユーコさんと鎌倉に写真を撮りにいく。前回鎌倉に来たのは15年前位の話しである。
とても天気がよく、12月とは思えない陽気であった。鎌倉には何度も訪れた事があるが、江ノ島には行った事がないと思い、今回訪れてみる。小さな島の中を8×10のカメラと三脚をゴロゴロと引き、岩場で釣りをしている人や何気ない風景を数枚撮影する。
何を求めている訳でもないが、ただ何となくいいかなという物を写真として撮っていく。こんな陽気で海のそばで写真を撮っているのは気分がいい。これほどのんびり撮影する機会はないが、自分にとって撮影やプリントはセラピーのようなものである。来年こそはこのような時間をフィラデルフィアにいてももっと作る努力をしたい。
その後鎌倉の路地を歩いていくと鎌倉彫を売っている小さなお店を見つけた。とてもこじんまりとしているが、家の作りに引かれ、ちょっと入ってみる。そこでは亡くなった旦那さんが作った物を中心にして売っている小さな商いで、今年は不況という事で全く売れていない様な事をおばさんに聞く。
日本の地方を訪ねる時はこの様な工芸店を見つけては寄る。珠洲に行った時には珠洲焼きを、輪島に行く時は輪島塗を少ないながらも買ってきている。高価で工芸品という様な誇らしい物を買うのではなく、素朴で自分の感性に合った物を探すだけである。そして基本的には実際にアメリカでの日常で使える物しか買わないことにしている。
一見簡単そうでな作業だがじつはなかなか気に入った物が見つからない。そして出来上がって買った時の仕上がりなどに満足するというよりは、使っていくうちの過程で起こる変化に興味があり、1−2年後の表面のてかりや様子を想像するのが実は楽しい。
実際にうちには珠洲焼きの湯のみがいくつかあるが、今年買ってきた物と去年買ってきた物では個人的に使う頻度が違う。大勢の人などにお茶を出す時はそこまで構っていられないし、それほど意識してる訳ではないのだが、新しい物のてかりに「小さな照れ」みたいな物を感じ、長く使っている湯のみに手が出る。
このような工芸品を作っていくにはとても時間がかかり、生産性や経済性という点でなかなかバランスがとれるものではない。僕は自分のプリントを積極的に売っている訳ではないが、実際に手作りでプリントなんかをしているとそんな事を常に感じる。だからこそ、このような物を見ると安い買い物をした様な気がしてしょうがない。
以下のビデオは友達が送ってきてくれた物であるが、本を印刷から製本まで作り上げてく様子である。早送りすると6分も満たないが、実際にかかった時間がどれ位なのかとついつい考えてしまう。この辺の住み分けがうまくできないのかと常に考えている。
京都便利堂にて

今回テストしたClarence Whiteのイメージ。Photo by Robin Tsukada
今回の滞在中は山本さんが出張という事で、主に加藤さんと一緒にデジタルネガのテストの作業を進めていく
加藤さんは、もともと便利堂の中でオフセットを担当していたので、プリントの作業を数値化していくというのは比較的に感覚として分かりやすいのではということである。先週、アンドレアと一緒に便利堂を訪れた時に山本さんに紹介してもらい、今回付きっきりでQTRの仕組みなどを説明していった。
1日目は会社に着いた時には既に夕方になっていたので、とにかく朝クボさんの所でプリントアウトしたネガを渡し製版をしてもらう。先週からチャートを刷るのを担当している竹内さんや、製版を長く担当している中沢さんも会議に加わり、いかにコロタイプを刷っていく過程で,いろいろな要素があるのかという事を説明してもらう。普段印刷している人の間で使っている,ボキャボラリーや感覚に慣れるために、写真的な観念に置き換えたり、その仕組みを分かる為に気になる言葉を一つ一つ確認していく。
2日目は翌日に作った版を使い実際に印刷をしていく。竹内さんと加藤さんが一緒になりコロ機を動かし、用意された一つの版から一回刷と二回刷りのテストを刷っていく。先週のテストからカーブをはじき出したが,それは二回刷の物で行った。便利堂では数物をする時は二回刷りするのが当たり前になっているようで、これがコロタイプの宿命的な物であると説明をうけた。オフセットとは違い、最初に刷った物と200枚目に刷られた物ではかなりの濃度差が出るようで、これを順序逆に二度刷る事によって平均化しているのである。
竹内さんが作業を進めていく途中にどのような版が刷りやすいかという事を説明してくれる。乾いている版を水とグリセリンに浸けておくのだが,そのぬめり具合などを確認しながら版の具合を確認していく。どれ位固いインクが入り易いかという事で実際に印刷の善し悪しが決まる。そして実際にインクを入れてみて,その入り具合に寄って実際に刷る時にどのようにしていくかという事を決めるようだ。そしてインクの固さやそして版の濡れ具合に寄って,実際のプリントの濃度がどんどん変わっていく。今回のテストでは一つの版から多くても20枚位しか刷らなかったが,版画使われていく度に版の状況が変わり、それを判断し印刷する人がいろいろな方法で仕上がりを一定にするというものである。
この様に細かい説明を聞いていくと、あまりにもプリントの時点で自由自在に操る事ができ、このようにチャートを作っていく事すら意味のない様に聞こえてくる事が多々あるが、逆に言うといかに版の出来上がりにバラ付きがあり,印刷の時点でその版を補う様にプリントをしているかということがわかる。プラチナプリントする人のネガの調子にバラつきがあり、プリントの時点で露光時間やコントラストを変え悪戦苦闘しているという事と変わりはない。今回この様に話しを聞けば聞くほど、いかに安定した版を作るという事が大切で,それができていればある程度反復性のあるプロセスだという事がわかった。
3日目の午前中は、写真部の岩村さんも加わり、印刷された物をスキャンして実際のチャートのずれをまた見ていく。そのずれからトーンカーブをはじき出す事も説明する。実際にスキャンをして,いちいちグレーの数値を読み込んでいく作業である。最近知った方法でこのプロセスを自動化するスクリプトこのとを話したり,後は二つのトーンカーブを一つにまとめる方法なども紹介する。正直言ってフォトショップは普段から使っている人ほど熟知している訳ではないが、要所要所でこの様に便利な方法を押さえる為に常に情報を吸収している。
今回のテストの結果を見て,山本さんも早速プリンターを購入するという事を決めた。かなり期待ができるのでないかと思ってくれたようだ。今回この様にデジタルネガを使うようすると大きく3つの利点がある。まずはできてくる版が安定して,印刷の時点で苦労しなくてもいいという事。これは時間短縮につながり、もう少しコストパフォーマンスが高くなるだろう。そしてこの様にデジタルファイルで入稿できる様になると,世界から受注できる様になる。今までオリジナルを撮影するしか方法がなかったが今回の方法でその過程を省くことができる。これは新しいマーケットを開拓していくにはどうしても必要な事である。
そして、自分として興味があった所として、作業過程のいろんな条件を数値化して知ることができるという事である。今まで職人さん達が感覚的に分かっている事は経験上のカンでしか分からなかったのだが、その感覚を数値化する事によってもっと裏付けのある物にしたいと考えた。職人さんの感覚をいかに理解して,数値に置き換えられるか,又は置き換えられないかという事を見極めることができないかという思いがあり、先週山本さんに会い話しをした時にもコロタイプを作る過程でどのような不確定要素があるのか、そしてどれ位の変化をもたらすかという事を、夜居酒屋にいる短い時間で、自分なりに理解しようとした。もちろんコロタイプを長い間やっている訳ではないので,細かい所まで理解する事は到底無理であるが、今までいろんなオルタナティブプロセスをやってきた僕なりに提案できるものはある。
今回のテストでは時間がなかったが次回は使うdichromateを変えて階調をもっと広くすることができるか是非試してみたい。基本的にはammonium dichromateの方がコントラストが低く感光性が高いので、この辺はテストをする価値があると、素人ながら思う。この辺はこの秋にゴム印画などでテストをして,実際にできた物を見せる事によって,山本さんの協力を得たいと思っている。
この様にお互いの持っているノウハウを生かし、より高画質のそして合理化されたコロタイプを作りたいと思っている。と同時にコロタイプの新しい利用方法を色々模索して行きたい。

仕上がりを確認する竹内さん。Photo by Robin Tsukada
旅は続く
2つ目のワークショップにも人が集まり、とても楽しい時間が過ごせた。
この様に人とのネットワークができていくのもワークショップを教える楽しさでもあり、そして何より参加者が楽しんで新しい事や、考え方を学んでくれるというのが,うれしい事である。
翌日の朝には久保さんの暗室を借りてデジタルネガの出力をする。これは先週から行っている便利堂とのテストの物で、今日から京都に3日ほど滞在する。第一回目のテストが土曜日に帰ってきたのそれをスキャンしてトーンカーブを作っていく。実際はもう一回位テストをしたい所だが京都で同じプリンターを使って出力ができないという事で、かなりカンで幅広く用意する。そして今回はグレーチャートだけではなく、Library of Congressで見て来たClarence Whiteのイメージのネガも準備する。そもそも今回のデジタルネガのテストはこの写真をコロタイプで表現できないかというのがきっかけであり,便利堂に持ち込んだ話しである。
この春に久保さんと一緒に訪れた時に見せてもらった一連のClarence Whiteの写真がある。プラチナで作られた最終的なプリントもあれば、ベタとしてつくられたサイアノのプリントもあり、彼がプリント時点で何を考えていたのかという事をなぞれる様なほど、同じイメージにしてもバージョンが沢山ある。今回はこのコレクションのほとんどが解像度の高いスキャンされている状態であるというので、キュレータのVernaにデータをダウンロードさせてもらった。このようのにデータで入校できると便利堂の仕事の幅も広がるのではないかと思う。
その後には石川の珠洲に向かう。今回は参加者が集まらなかったが,蛸島の祭りを撮り行く予定である。前回は4×5のカメラでランダムに撮ってきたので,今回は白のバックドロップまで持ち込み,8×10で撮影を試みようと思っている。今回大阪で行ったアンドレアのワークショップで通訳をしながらポートレートについて学んだ事が沢山あり、とても役に立った。それを実際にこの撮影で生かすことができたらと思っている。
そして今回着いていくる事になったロビン。彼とは6月にフィラデルフィアを出てから久しぶりに会った。つい2−3日前に中国から帰ってきたばかりで、日本国内をあまり旅行した事がないというので一緒に来ることになった。実際は、また無茶な旅にかり出されるといった感じであろうか。
日本から長い間離れているということを感覚的に分った上で話せる人に会える事はそんなにない。その中でロビンは中国でも育ったことがあるので,ある意味「日本の感覚」から離れている所があり、とても気楽に話せる。実際に二人の会話なども英語でやり取りする事のほうが圧倒的に多い。会話のテンポ、考え方など、そして他の人と話す様にいちいちassumptionを確認する作業がなく、こちらの方が「感覚的」に近い物があるのだろう。
今日は一日中便利堂でQTRの使い方を教え、昨日入稿したテストの印刷の作業を見せてもらう。そして夜は出張から帰ってくる山本さんと鈴木さんを無理矢理に誘い、京都でのボーリング大会。今日も1日楽しみである。
歴史と歴史との関係
金沢で久保さんに勧められていた、杉本博史のショーを21世紀美術館でみる。タイトルは”History of History”と作家一人で行うには少し大げさな感じがあるが、このショーはNYのJapan Societyで見た事があり、一つ気に入った作品を覚えているのでまた訪れる。
さすがにNYでの展示スペースの限界のためあまりまとまりがなかった事を記憶していたが、21世紀美術館で行われているショーはスペースの使い方がとても有効で完成度の高いもになっている。このショーは写真展ではなく彼の写真作品と自分の古美術のコレクションを交えたとても面白いショーだ。中には自分の写真を古美術に実際に混ぜて見せている物もある。
インタビューなどを見るとどのようなアイデア基にして作品を作っているなどと分かり彼の作品を理解するにはかかせない物だと思った。前々から思っていたが彼の作品を見ていると「時間」を意識せざるえない。それも一瞬の時間から数千年もしくはもっと長い時間を含めて。そしてそれらが「歴史」というアイデアを構成しているのであろう。「歴史」という事をレファレンスにする為ある意味「普遍性」みたいな物をかもしている。
その後に国際交流サロンの永江さんの所に寄ってみるとシムさんと山口君という若い工芸作家に出会う。彼らは金沢市がプログラムとして行っている卯辰山工芸工房という所で自分たちの作品を作っている。ここでは30人ほどの人達が全国から選ばれて、スタイペンド(給料)をもらいながら作品を作る機会を与えられる唯一のレジデンシーだそうだ。若くして作品を作っているという事もあり話が弾み、時間がないながらも次の日にに向かう前にスタジオを訪れる事にする。
卯辰山は海抜が140mとそんなに高い山ではないが金沢の比較的平らな場所にある為、頂上からは金沢が全てが一望できる。僕もちょうどどの地点から金沢を全て撮ることができるのかと考えていた所にこんな機会に出会わした。あいにくの雨だが工房から見える景色はなかなかの物である。ここでは陶芸、繊維、ガラス、メタル、漆器の5項目だけを制作しているスタジオである。シムさんは漆器そして山口君はガラスのを使いそれぞれ作品を作っている。アメリカでいうCraftと呼ばれているアートである。
前の日話している時にアメリカではFine ArtとCraftの地位の差というのが明確に現れている事を話す。一概に言えないが、Fine Artというのはとても洗練されていているが、craftとなると手作り感みたいな意味合いが含まれてきて評価が下がる。もちろん家具を作る作家や陶芸の人でもとても評価の高い人がいるが、やはり取引されている値段そして話題性という点から見ても、Fine Artとの「差別」みたいな物は薄々と感じる。
工芸では長い「歴史」や「伝統」という物が逆に作用して一種の束縛感みたいな物になっているような感じがする。杉本博史が歴史を利用する事によって作り上げている「普遍性」のようなものはどこに行ってしまうのだろうか?歴史との関係をうまく利用するか、それともそれによって縛られるのかは作家次第なのだろうか?今にも雪が降りそうな曇りの金沢を発つ電車の中でそんな問いが頭を巡った。



